医療機関や地域での実践的な研修などを通して、医療における「やさしい日本語」の活用を広く発信してきた、東京都と順天堂大学の医療現場への「やさしい日本語」導入・普及事業。研修で講師を務めるなど、事業の推進役として活動してきた4人が、思い出に残るエピソードや得られた成果、今後の展望について語り合いました。
ロールプレイを通して現場で使える学びを提供
――まず、今回の医療×「やさしい日本語」導入・普及事業について、目的やこれまでの取り組みについて教えていただけますか?
武田 この事業は、医療者がやさしい日本語を知り、実際に使ってもらえるような研修を提供するというものです。研修では、単に講義を聴くだけでなく、日本語を母語としない方に模擬患者になっていただき、ロールプレイを通して学ぶプログラムとなっています。また、研修に参加した後、あるいは参加していない方にも自由に学んでいただけるよう、動画教材やロールプレイのシナリオなどを作って公開しています。
新居 地域での研修は約16カ所で行い、医療関係者だけでなく、その地域で暮らす外国人や支援者が、模擬患者やファシリテーターとして参加しています。現在、東京には約60万人の外国人が住んでいますが、生活での困りごとを調査すると、必ず上位に入るのが、医療現場でのコミュニケーションです。地域での研修は、その大きな課題を解決するために、医療者、地域の外国人、支援者のネットワークづくりも目的としていたと思います。地域で研修を行うに当たり、東京都が事業主体である、という点はとても重要なポイントで、都医師会と協力でき、研修の組み立てがスムーズに進んだのは、そのおかげだと感じます。
武田 模擬患者さんやファシリテーターのトレーニングを含め、教育活動としての枠組みを作ることができたのは、この事業の大きな成果ですね。参加した方が、限られた時間の中で学びの効果を実感できるのは、ロールプレイで的確なフィードバックがあるからこそ。しっかりした振り返りで理解を深められる研修のパッケージを作ることができたのは、大きいと思います。
研修は医療者と模擬患者が学び合う場
――取り組みの中で、印象に残っているエピソード、やって良かったと感じた瞬間を教えてください
岩田 研修に参加された医療者の方々が「日ごろから困っていました。これは良い方法ですね」と言ってくれて、現場で使えそうだと思ってくださるのが、やっぱり一番うれしいですね。
新居 現場で使えるといえば、やさしい日本語を「医療」と掛け合わせているのが、絶妙ですよね。以前、弁護士さんに「やさしい日本語を使ってもらえませんか?」と聞いてみたことがあるのですが、「とても大事な話を専門的にしなければならないし、せっかく有料で話を聞く機会を作るんだから、通訳を入れて対応したい」という答えだったんです。でも、医療は、やさしい日本語で対応できる領域もあるじゃないですか。
武田 そうそう。もちろん医療もとても専門的な領域ですので、弁護士さんと同じで、通訳者が絶対に必要な場面はあるんです。ただ、医療機関に来て帰るまでの間には、「保険証を出してください」とか「会計はいくらです」であったり、入院中に「これからご飯が来ます」など、やさしい日本語でできる“普通の会話”も、すごくたくさんあります。
石川 地域での研修会に参加した時に、参加されている方々のつながりや熱量をすごく感じて、それがとても良い経験になったなと思います。研修に参加したからといって、何か資格が取れるわけじゃないし、お金になるわけでもない。だけど、それでもたくさんの方が関心を持って参加して、その場でつながりが生まれていく。その熱意を間近で感じられたのが、とても思い出深いです。
武田 ある地域での研修に、模擬患者として日本語学校の学生さんが参加してくださいました。引率の先生が言われるには、日本語が上手な学生でも、普段は「おせわになってばかりで役に立っていない」という感覚を持っているそうなんです。でも、研修では、学生さんのひと言ひと言に医療者が納得し、そこから学んでいる。その様子を見ていた先生が、「この研修で学生は自信を取り戻している。ずっと担任をしてきたが、あんな表情は見たことがない」と言われました。それは私もうれしかったですね。共生社会は、誰かが一方的に何かをしてあげるのではなく、ともに学びあってつくっていくものですよね。この研修は、まさにそれを体現していると思います。
大学での教育や研究への広がりに期待
――医療機関での「やさしい日本語」のさらなる普及に向けて、アイデアはありますか?
岩田 これは、「やさしい日本語」に限らず、言語の習得に共通することなんですが、「使ってみたら、うまくいった」という成功体験をいかにつくってもらえるかが、普及のカギだと思います。
武田 「やさしい日本語」を知っているのと知らないのとでは、伝わりやすさが本当に大きく違いますからね。私は、医学教育の中で、やさしい日本語を学ぶ仕組みをつくる必要があると思っています。医学や看護、薬学の学部教育では、卒業までに学ばなければならない「コア・カリキュラム」が決まっています。そこに「やさしい日本語」が1コマでも入ると、大きく変わると思うんです。
岩田 ただ、コア・カリキュラムに「やさしい日本語」の授業が1コマ入ったとしても、英語の授業が10コマあったら、「やさしい日本語」の学びが薄まってしまうというか……。外国人の対応にはいろいろなスイッチがある、という伝え方をしないと、結局「とりあえず英語で」ということにもなりかねない。単に「やさしい日本語」の授業を足すんじゃなくて、既存のカリキュラムに上手に入れられるといいんでしょうね。
石川 多職種連携の授業でもいいし、英語教育でもいい。もちろん医療面接などのコミュニケーション教育の中でもいいので、少しずつ取り入れられるといいですね。
武田 研修の数を重ねていく中で、やさしい日本語を知っているという方は、目に見えて増えました。”医療における「やさしい日本語」“に関する研究も増えていて、人文学や社会学など、医療以外の領域の研究者も取り組んでいるのは、大きな変化だと思います。
石川 私が所属する学会でも、「やさしい日本語」に関する演題は増えていますね。これからは、個人の体験として「やってみて良かった、役に立った」ということにとどまらず、研究成果として「やさしい日本語」を使うと、患者満足度や治療への理解度が上がる」といった効果が明確になると、医療者教育に入れていくための根拠になると思います。
新居 なるほど、そこは「大学提案型」のこの事業のポイントですね。研究してエビデンスを出せる大学が実行して、東京都という公の機関が必要性を訴える。この組み合わせがいいんですね。
岩田 「研究対象になっている」というのは、「普及の一歩手前である」ということも言えますよね。まだやっぱり新しい学問分野だし、まだまだれこれから、ということですね。
外国人「だけ」ではもったいない
新居 外国人が総人口の2%の日本で普及することを考えた時に、「やさしい日本語」を「2%の人」だけのものにしてしまうのは、可能性を狭めてしまうと思うんです。外国人だけじゃなくて、高齢の方、聞こえや理解に困難がある方、子どもにも役に立ちますよ、ということを表に出していかないともったいない。
武田 研修の中でも、外国人に限らず「やさしい日本語」はいろいろな方の役に立つということを意識して伝えてきましたよね。
新居 それから、誰かが困っているという話を聞くのも大事ですが、それだけだとやっぱりちょっとつらい。それよりも、「やさしい日本語ができるようになりませんか?」と呼び掛けて、みんなで練習して、「へえ、そうなんだ!楽しかった!」と思って帰ってもらうほうが、働きかけとしてはずっと効果的だと思うんです。それができるのが、やさしい日本語の強みですよね。
武田 この間の研修会では、笑いすぎておなかが痛くなった、っていうグループもあったぐらい、みなさん楽しそうでした。実際に困っている人のお話を聞いて現実を「知る」ことと、それに対してできることを「楽しく」学ぶのが、私たちの研修だったといえるかもしれないですね。
新居 そうそう。楽しくやることはすごく大事ですね。
ちょっとしたコツをぜひ学んで
――最後に、やさしい日本語の導入について、医療関係者のみなさんにメッセージをお願いします。
石川 やさしい日本語は、学ぶと医療者自身が楽になる部分もとても多いと思います。外国人の方とのやり取りがスムーズになり、今までうまくいかなかったことがうまくいくようになるという体験を、たくさんの方にしていただけるように、もっと普及させていきたいですね。
新居 医療機関で、外国人とのコミュニケーションに一番困っているのは、実は、電話対応をする方や受付の方だと思うんです。ただ、その方々の中には、正職員ではなく派遣や嘱託で働いている人も多く、やさしい日本語の研修があっても、そもそも受けられる立場にない、というケースもある。医師や看護師が研修を受けることも大事ですが、医療関係者の方には、雇用形態にかかわらず、医療に関わる多くの方が研修を受けやすい仕組みをぜひ作っていただきたいですね。
岩田 僕は少し違う角度から。これまでやさしい日本語を「話す」ための研修を一生懸命やってきたのですが、次のステップとして、「書く」ことにも力を入れたいです。たとえば、病院では患者さんに研究協力依頼書などにサインしてもらう場面があるんですが、読みにくいものもあります。もうちょっと読みやすくできないか、というのは前々から考えていました。少しずつコメントしていけたらと思っています。
武田 「やさしい日本語を勉強しましょう」と言われたら、何か特別なことをするような印象を持たれるかもしれません。でも、「相手に応じて伝わりやすいように話し方を変える」というのは、医療者が常にやっていることです。困っている人の力になりたい、という思いさえあれば、それだけでやさしい日本語は8割方できていると言っていいと私は思います。ちょっとしたコツを知ると伝わりやすさが大きく増しますので、ぜひ活用していただきたいです。
順天堂大学大学院医学研究科教授
専門は医学教育、地域医療、プライマリ・ケア、国際保健。健康格差の社会的要因(SDH)に関する教育・研究を大学で行っている。
帝京大学大学院公衆衛生学研究科/帝京大学医療共通教育研究センター教授
専門はヘルスコミュニケーション学、医療社会学、行動科学。保健医療専門職になる人を対象とした行動科学・コミュニケーションの教育を行っている。
特定非営利活動法人国際活動市民中心(CINGA)コーディネーター
多言語・多文化にかかわる専門家ネットワークのNPOの職員。外国人相談、コミュニティ通訳や地域日本語教育等の事業に従事。
聖心女子大学現代教養学部日本語日本文学科教授
専門は日本語教育、日本語の文法、やさしい日本語。横浜市、町田市、静岡県など様々な自治体で「やさしい日本語」推進活動に関わる。